《 いじめ・登校拒否について考える 》その5 いじめ体験文集から

 前回のつづき

 十歳ぐらいの時は、学校帰りに一人で毎日、自殺することだけを考えていました。 帰り道に踏切があったため、何度も飛び込むことを望んでいました。学校が休みの日は いつも飛び降り自殺をするための場所を自転車で探していました。「ここなら高いから 確実に死ねるかもしれない」「上に登って見ようかな」「もう今日が最後だ」そんなことばかりを思っていました。
 一度、ガス自殺を途中までやってしまったことがありました。「もう死のう」「もう いやだ」「これで死ねる」。そう思った小学校四年生の時のことです。私は学校から帰ると家に誰もいないことを知り、ランドセルを放り投げてガスの栓をひねりました。 そのまま近くの場所で眠ろうとした瞬間、「ただいま」と弟が帰って来ました。
「弟まで殺すわけにはいかない」と思った私は、すぐに窓を開け、栓を閉めて何もなかったかのように「お帰り」と言いました。弟に助けられました。
「ああ、また死ぬことができなかった」と思いましたが、助かったという気持ちも、どこかにあったと思います。

 小学校四年生の頃、初恋をしました。同じクラスで席は私の一つ前、頭が良くて班長をしている男の子でした。いじめを止めたり、いじめられている私を助けたりすることは一度もありませんでしたが、私のことをいじめたりは決してしませんでした。
 わからない算数の問題や漢字の読み方を、その子は教えてくれました。班がおなじで掃除の時間もその子と同じ場所を受け持っていましたが、私を元気づけるためか、よく笑わせてくれました。
 一日のうちのお昼の掃除の時間が、私にとって一番楽しい時でしたが、それも長くは続きませんでした。別の班になると全く話をしなくなり、また悲しい辛い苦しい毎日が始まるのです。靴箱に「バカ」と書いた手紙。筆箱の中の鉛筆の芯は全部折られて使えなくなっている。そんな日が毎日また続くのです。
 でも、あの男の子だけは私をいじめたりはしなかった。たった一つの心の支えでした。その男の子とは、小学校三年から小学校六年まで四年間と、中学三年の一年間同じクラスでした。毎晩ふとんに入るとき、「いじめられても、あの人がいるから死ぬことだけはやめよう。考えるのはよそう」と自分に言い聞かせていました。

 小学校五年になると、クラス替えはありましたが、やはり、いじめられました。
授業中に隣の席の男の子がナイフを突き付けてきて「お前、次に先生が質問したら手を挙げて答えないと刺すぞ!殺すぞ!いいか!」冷たいナイフは、私の太ももに当たっていてすこしでも動かすと刺さりそうでした。
(つづく)

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